永瀬廉 ✕ 片想い ⑬

 

「明日は8時に迎えに来るからね、」

「へい、お疲れーっす」

 

業務的なやり取りの後

頭に乗っけただけのキャップを深く被り直し

ギリ視界を確保する程度にマスクをあげて

 

マンションの前で

事務所の送迎車から降りた。

 

ドラマの撮影と映画の撮影

新曲のプロモーションが重なって

寝に帰るだけの生活は、

今の俺にとって、都合が良かった。

 

身体が生活に追いつくだけで精一杯の状態は

精神的に他事を考える余裕が無い。

 

紫耀とは、お互いに「それ」については触れない。

暗黙のルールみたいなもんが勝手に出来上がって。

 

紫耀も俺に気を遣ってなのか

楽屋で彼女の名前を聞くことすらも無かった。

 

それで、良かった。

それが、良かった。

 

変な気ぃ遣わんといて、と

余裕みせたフリするほど

大人にもなれんくて。きっと、まだ、しっかり傷付く。

 

彼女が、紫耀の彼女になった、という事実に。

 

 

 それでも俺の中で、彼女が色褪せる日は

必ず来るから、そう信じて

宛のないその日を待つしかなかった。

 

 

 

 

 

平野君からは、あの夜以降

朝の「おはよう」と、

夜の「おやすみ」以外のメッセージは届かない。

私も挨拶を返す以上の連絡は出来なかった。

だから、ふらっと、仕事帰りに、

家の前に平野君が車を寄せることも無い。

 

優柔不断のくせに、欲張りな

私に嫌気が差してしまっても、仕方ない程で

 

平野君の彼女、で

廉の友達、の私が

 

迷うなんてこと自体がおかしいのは

自分が一番分かってる。

 

平野君のことも廉のことだって

これ以上傷付けたくない。

 

通い慣れたコンビニから

自宅のあるマンションまでの道のり。

 

コンビニ前の横断歩道を渡って

すぐのマンション。

 

見上げた先の部屋からこぼれる灯り。

そこに「行きたい」けど「会いたい」けど、

そこに辿り着く理由なんて、見当たらなかった。

 

世間話を出来る友達だと思ってた廉に

平野君との惚気に近いような悩みを打ち明けた夜もあった。

それで、「友達」になれるって思ってたから。

だから、私に向け続けてくれた「友達」以上の想いにも

ずっと、気付かないフリして傷付けた。

 

答えを出すまでは、

「会ったら駄目」だと分かっていた。

 

それなのに

答え?「平野君の彼女」以外に何があるって言うの。

そんなもうひとりの自分からの問いかけに

聞こえないフリを貫いて、

 

「‥‥‥なん、」

 

ドアロックを外さないままのドアの向こうで

眉間に皺寄せた廉の少し驚いたあとの不機嫌そうな顔。

寝起きの時のそれとは、違う。

 

「‥‥……悪いけど、あげれんよ。」

「、誰か居るの?」

「………おん、」

「‥‥‥‥……そっか、」

「てか、もう来たらあかんやろ。」

「……‥‥なん、で?」

「なんでって‥‥、お前さぁ」

「友達、でしょ?私達」

「、そういうことじゃないのよ。」

「…………………どういうこと?」

 

分かってる。

 

私が、ここに来ちゃいけない理由は

どんな自己啓発本にも書かれるわけがない。

 

書くまでもない、ことだから。

 

廉の後ろで、「永瀬くーん?」って声がした。

女の子の、声だった。

 

「‥‥………そういうことやから。」

 

察しろ、と言わんばかりに冷たく

ガチャンと閉じられたドア。

 

そう言えば、前にもあった、こんなこと。

 

私、いつから、こんな女になっちゃったんだろうの続き

自分の中に言葉を探してやめた。

 

恋多き友達の彼氏の愚痴、

いつも他人事みたいに面倒なものだと振り分けた。

今の私は、そんなあの子達より、ずっと、ずっと面倒くさい。

 

こんなドア1枚の隔たりなんかで

遮られたって、全然駄目で。

 

むしろ、答えを導き出すには十分だった。

 

廉なら、すぐに彼女が出来る、って分かってた

私とのことなんて、すぐに上書きされるって分かってた。

それでいいと思ってた。私もすぐ、忘れられるって思ってた。

一緒に過ごした夜もあのキスも。

 

意地悪だけど、優しくて。

見かけによらず、甘えたで。

不器用なくらいに、真っ直ぐで。

そんな、廉のことなんて忘れられる、って。

 

なのに、会わない間も

姿形は感じられなくても

廉は、そこに居た。

 

会社の給湯室で、廉の話題になったお昼休みのあとは、

なんか凄く怖い顔してるって、同期に指摘されて、

その理由を探る前に何度も目を逸らした。

 

どちらかを選べば、どちらかが傷付く。

結局、みんなが幸せになる道なんてない。

 

いっそのこと、どちらも選ばなければ。

そんな選択肢とも戦った。

 

でも、廉に彼女が居る、って知って

自分の気持ちにもこれ以上嘘がつけないと知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

私、廉が好き。

 

 

 

だから、

 

 

もう、私は

平野君の彼女では、居られない。

 

それが、わたしの答えだった。

 

 

 

平野君の深い溜息。

カチカチ、とハザードランプの点滅音。

別れ話に相応しくない陽気なラジオパーソナリティの曲紹介。

ふたりの間をゆっくり引き剝がす

「元カノへの未練」を歌った流行りの曲。

 

 

 

「、これ、流行ってんだよね。」

「………………うん、」

「、めちゃくちゃ刺さるわー。」

「、ごめんなさい」

「謝んないで、そっちのが、辛いわ (笑)」

 

遠ざかる平野君の車を見送った時

いつかのラブソングみたいに

数回ブレーキランプが点滅した。

 

とくに意味の無い義務的なことだったかもしれないのに

胸が苦しくなった。

 

平野君は優しかった。出逢った時から、ずっと。

完璧すぎるくらいだった。

だから、辛かった。

罪悪感と私が、そこに置き去りになった。

 

平野君は、幸せになる資格の無いはずの私に

「もう、間違えちゃ駄目だよ」と言った。

 

間違い、なんかじゃなかった。

 

 

今更、何を言っても

都合のいい言い訳にしかならないだろうけど

私、ちゃんと平野君が好きだった。

 

初めて出逢った数合わせの合コンに

意味をくれたのは平野君だった。

 

信じてくれないだろうけど、

 

私の泣く理由なんて、

きっと誰の共感も得られないだろうけど

私も悲しかった。

 

平野君の隣が好きだったから。

 

私が向かう先には、ハッピーエンドは無い。

だけど、今日が、この物語の最終回。

 

 

 

 

 

 

「ちょ、ほんま、こういうの困る、帰って。」 

 

この間の西原主催の飲み会で、

最後に俺の隣に居た女の子。

 

西原から謝罪するLINEスタンプが送られてきて、

クエスチョンマークだけで返した直ぐの出来事。

謎は、解けた。

 

普段は、滅多に会うことの無い

同じマンションの住人の目が気になりだして

玄関先で、不毛なやり取りを続けても

一向に帰る気の無さそうな女の子を

玄関の中まで入れて、ドアを閉めた。

 

「、1回だけでいいから」

 

そう言って、俺の利き手を取る女の子の爪は

それ絶対自炊しとらんやろ、という程のネイルが施され、

やっぱりこういうタイプの女の子、後腐れしかないわ、と

「だる、」の溜息を漏らした。

 

「や、1回だけ、とか無いのよ、俺」

「だめなの?」

「あかん、って」

 

試合終了の合図みたいに、

次の来客を知らせるモニターに

映し出される彼女の姿に一瞬黒目が揺れた。

 

「ちょ、中入って、出てきたらあかんよ。」

「はーい」

 

聞き分けのいい語尾を伸ばした返事をする女の子を

リビングで待たせ、玄関のドアロックをかける。

 

いつになく聞き分けのない他人の彼女には、

もうどんな勘違いされても構わなかった。

 

もちろん、リビングで待つ女の子を

1晩限りの相手にするわけもなかったけど。

 

俺なんか選ばんくて、正解よ

紫耀にしとけ

 

1枚挟んだ向こう側で、少しの静寂に耳を寄せたあと

遠ざかっていく彼女の足音にそう伝えた。

 

「シャワー借りてもいい?」

 

リビングに戻ると、

すっかり「その気」の女の子を

再び玄関に連れてくまで15分かかった。

何もかもが、彼女と違って、

いちいち彼女を比較対象にして。

 

 

 

やっと、ひとりになって、

疲れているはずなのに、

なかなか意識を手放さないベッドの上

 

そういえば、この真白なシーツの上で

「その気」になった夜があったな。

 

ベッドの片隅で壁際に寄せた小さな肩を

ひとつの夜だけで何度も寝返りを打つフリして

眺めては目を閉じて。

 

そんなことを思い出しては

 

「あ゙ー

 

気が付いたら、朝の4時。

8時には、マネージャーが迎えに来るのに。

結局、今寝たら終わりかも、とテレビの前のソファに腰を落とす。

チャンネルをコロコロ変えても

まだ、らしいテレビもやってない。

 

今なら、もう一個つけても同じ値段、とか、

あーだこーだ、誘い文句を並べるくだらなさに

今更睡魔が襲ってきたとき

アラームでは無い音が携帯電話を揺らす。

俺と話す気がないような、短い着信だった。

 

今度は、来客を知らせる音と同時にモニターが白く光る。

5時過ぎ、という悪戯にしては、あまりに悪質な時間。

 

「、は?」

 

幻にしては、鮮明すぎて

真実にしては、信じ難い光景。

 

モニターのなかで俯く姿に「迷惑なんやけど、」と声を掛けたら

目を真っ赤に腫らした彼女が顔を上げた。

 

「…………ごめんなさい、」

 

モニターのスピーカー越しでは

拾いきれんような細い声が床に落ちた。

 

こんなとこ、またマンションの住人にでも

見られようもんなら俺のイメージ問題にも繋がる。

 

仕方なく、彼女を部屋にあげて、

俺が出来る限り冷たい視線で見下ろすと

ボロボロッと大粒の涙をこぼして、俺を見上げる。

 

「は、ちょ、泣くなって、」

 

この構図は、どう見ても俺が悪い気がしてくる。

仕方なく、彼女を部屋にあげてローテーブル前に座らせる。

 

時間が経っても、落ち着くどころか、

彼女の涙は、次から次へと溢れ出す。

 

お酒を作るためにストックしてある

炭酸水のペットボトルを彼女の前に置く。

 

「、かっの、じょは?」

 

は?って、言いかけて、

さっき、仕掛けた罠に引っ掛かったままの彼女に気付く。

 

「おらんし、」

「っでも、」

 

「、んなことどーでもいいのよ

なに、紫耀と喧嘩でもしたん?」

 

ぐずぐずと鼻を啜りながら涙をぽろぽろとこぼす彼女のまえに

ボックスティッシュを置いて、2枚取り出して彼女に渡す。

 

「……………か………れ、た」

「、は?聞こえんて。」

あからさまに彼女に耳を寄せる仕草を見せて。

 

「ひ、らのくっん、と」

「おん、」

「わか、れ……っ、た」

 

いま………………、

なんて?

 

処理能力が追い付くまでに少しの時間が必要だった。

、ちょっと、まだ理解できん。

 

「…………は?、」

 

ぺたん、と足を折り畳んで座り込む彼女の前に

目線を合わせるようにしゃがむ。

 

彼女のおでこに前髪が垂れて、

隠れる奥の瞳を追いかけるように覗き込む。

 

左手の人差し指でおでこにかかった髪をサイドに寄せて

何の戦略も読み取れない上目遣いで

うるうると十分過ぎる水分量で

視界を歪める彼女の視線が床に落ちる前に拾うように見つめ返す。

 

ひっくひっく、と

自分ではどうにもならない様子の彼女の背中に腕を回して擦る。

 

「泣いてたらわからんやろ?」

「、ひら、の、くん、とわか、れっ、……た」

「ん、それはわかったから、何があったん」

「、れっ………ん、」

 

まるで、子供みたいに泣きじゃくる

彼女は両手で顔を覆いながら、

ひとの名前を繰り返し吐き出す。

 

「落ち着け、って」

「……っ、れん、」

「はい、」

「っれ、ん、が」

「おん、」

「…………………………すき」

 

一瞬、時が止まったように彼女の背中を擦る手が止まった。

 

「……………は?」

 

夢なら醒めんといて、と願った

でも、夢じゃないなら、

 

 

 

「、えーの?」

「っ、……」

「俺で、えーの?」

「ん、」

「後悔したって、もう離せんけど、ええの?」

「ん、」

「やっぱり紫耀がいいとか言わん?」

「…………ん、」

「そこは、即答せんと」

「ん、」

 

「お前、アホやな」

 

俺の胸の前で、上手く喋れないほどに肩を上下させて

泣き止む気配のない彼女が愛しい。

 

「……、」

「いや、俺が女でもようせんわ、紫耀を振るとか」

「お前、見る目ないな」

「っし、しって、る……」

「は、だる、なんなん、お前」

 

 

 

「れ、ん、」

「ん?」

「っ、くっ………ひっ、す、き」

「知っとる」

「れっ、んは?」

「…………好きよ、大好きよ」お前より、ずっと前からな

 

遠回りしたついでに

悪気無く傷付けたり、不器用に傷付いたりした

彼女の小さな頭をぽんぽんと撫でる。

 

「抱きしめ、て、えーの?これ」

俺の問い掛けにコクン、と首を落とす彼女。

 

もう酔ったふりせんくても

抱きしめていいらしい。

 

小さくて丸い頭を抱き寄せた。

 

「いい加減泣き止んだら?(笑)」って、

顎を乗せてぐりぐりしてみたら

「痛い………」って、離れて

 

「なぁ、」

「っ、ん?」

「ちゅーして、」

「っ………え?」

「もうふらんでな?、結構、廉くんデリケートなんやから」

「………恥ずかしい、」

「えーから、ほら、ん!」

 

俺のトレーナーの左胸が色が変わるほどに濡らしても

まだ泣き止む様子が無い彼女の顔は、

まあ、酷くグシャグシャで。

 

しゃがんだまま、

クロスした腕を自分の膝に乗せて

目を閉じて口を噤んで、彼女のくちびるを待つ。

 

うっすら目を開けると、

少し前のめりになったり、元に戻ったりを繰り返す彼女。

 

「っ、」

 

待ちきれず、ぶつかるように

くちびるを合わせに行く俺に「もー」って小さく笑う彼女。

 

「お前、その顔じゃ、今日会社行けんやろ?」

「ん、休もうかな、月初過ぎたし」

「おん、じゃー、家で待っとってよ」

「?いいけど、」

でさ、」

「ん、?」

 

「作ってよ、ハンバーグ」

 

俺に彼女が出来た記念にさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しょおがふられるなんてあるんだね」

「お前、面白がってない?」

「んーん、気まずい?」

「、や」

「しょおのそういうとこ、すき」

「おまえに好かれても嬉しくないわ」

「え、酷いんだけど」

「や、俺も廉も海人のそーいうとこに救われてるわ。」

 

永瀬廉 ✕ 片想い ⑫

 

西原に誘われて、

正直、乗り気な訳では無かったけど

失恋の痛手って、新しい恋でしか埋まらんって気付いた。

 

だけど、

 

全然つまらん。

 

彼女に開けられた穴は

思ったよりも広くて深く

彼女以外に埋められる女なんておらんことを

思い知らされるだけやった。

 

無駄に揺れるピアスも

生地の薄いブラウスから覗く谷間も

不自然に巻かれた髪から漂わせてる香水も

わざとらしくオーバーなリアクションも

 

全然、そそられんくて。

 

俺の部屋で、

俺のスウェットに身を包んで

「でも、」「だって、」って

小さな声で否定的な言葉を並べる

彼女のほうが、100倍魅力的で。

 

手を伸ばしかけては、

何度自分の理性と戦ったことかわからん。

 

 

デビューしてから、

いつでも見られてるって意識しろって

事務所にやかましく言われ続けて、

言い寄って来る女の中から適当に口の堅そうな、って

言っても誰も信じられん日があったのも事実。

 

正義の顔した悪がいつだって、

俺の周りをうろつきまわってる気がしてた頃

彼女との出逢いは、良くも悪くも俺を変えた。

 

そんな彼女との出逢いも、

こんなやる気のない合コンで。

 

絶対好きにならんタイプ、という俺の概念を

無駄なものだった、そんなもんなかった、とでも

言いたげに、崩してきた人。

 

彼女が、無自覚やから

もっとタチ悪くて。

 

一方で、俺も「好き」と認めるまでに

無駄な抵抗を繰り返して。

 

あの時。

 

テーブル挟んだ向こう側で

確実に恋が始まる瞬間を目の当たりにして。

 

別にこれと言った決め手があったわけじゃないはずなのに

彼女を紫耀んとこにやりたくない、みたいな感情だけが

ずーっと、海の底を這うみたいに存在していた。

 

彼女が恋に落ちた瞬間

もしかしたら、

それは俺が失恋した瞬間なのかも、なんて。

 

 

 

入れ替わりに隣に女の子が座る度に

違和感に侵されてく、俺の左肩に

耐えられなくなって席を立つ。

 

途中「永瀬くん帰っちゃうの?」なんて

見上げてくる女の子が掴みかけた腕を

愛想笑いで持ち上げて交わす。

 

「西原、ごめん、俺、先帰るわ」

 

いや、お前居なくなったら

女の子達に恨まれるの俺じゃんって

西原の声がしたけど、

聞こえないフリして、暖簾を潜った。

 

「あ、ここで。」

 

自宅の徒歩10分にも満たないマンションの近くで

タクシーを降りた、

 

ことを直ぐに後悔した。

 

見覚えのある車が近寄るなとばかりに

ハザードランプの点滅を繰り返していて嫌でも

視界に入る重なるふたつの影。

 

おいおい、こんなとこでチューなんかすんなや。

撮られたら、どうすんねんっていうのは建前で

本音は、嫉妬でぐっちゃぐちゃだった。

 

彼女が車から降りて、

車を見送る背中が手の届かない存在になってしまった。

 

彼女に合コンの成果を聞かれたら

「もう、それはモテモテよ。俺、誰やと思てんねん。」って

嫌味たっぷりに言ってやろうと思ってたのに

どうでもいいのか、俺がそれをぶつける出番はやって来んくて。

 

彼女に関係ないと言われた時

自分で下した仕打ちの重さに気が付いた。

 

勢いで腕の中に閉じ込めてみたけど、

彼女に聞かせられる言葉なんて

なにひとつ用意してなくて

 

「・・・れん?」

 

名前を呼ばれて、とりあえず腕をほどいた。

 

「ごめ、・・・・・俺、酔ってるわ。忘れて。」

 

他人の女に手を出すほど、不自由なんかしとらんのに。

なんで、この子じゃなきゃ駄目なんやろ、って

これも彼女に出逢ってから

何度自問自答したかわからん。

 

彼女に忘れてって

自分のしたことを無かったことにしてって言うのも

何度目か数える作業が虚しさに変わってく。

 

一度も、なにひとつ、忘れて欲しかったことなんてないのに。

 

身体を反転させて、自宅の方へと左足で一歩踏み出した時

「れん、」ってまた呼ばれた。

 

俺を呼ぶ彼女も、数分前に抱きしめた彼女も

他人の、紫耀の彼女で

それ以上でも、それ以下でもない。

 

もうどう足搔いても

変わりようのないない事実だけは

きっと、これからも抱きしめようがない。

 

「・・・・・ん?」

 

彼女の顔を見るのが怖かった。

顔を左に90度振るので精一杯の俺に

 

「おやすみ、」って、聞こえて

「ん、」って、曖昧な返事だけ残して。

 

終わった。

ぜんぶ終わった。

 

どうせ出逢った頃から、失恋する運命だった恋だ。

今更、何の期待を込めたって無駄だ。

 

 

なのに、鼻先がツンとして

飲み込んだのは、「言葉」でも「呼吸」でもなかった。

 

 

 

 

 

廉に初めて押し倒された時、

この人嫌いだって思った。

 

合コンに同席した会社の女の子達が口を揃えて

好きだと言ったところも大嫌いだって思った。

 

廉に初めてキスされた時

この人嫌いだって思った。

 

私の気持ちなんてお構いなしに

真っ直ぐ自分の気持ちを押し付けてくるところも

大嫌いだと思った。

 

廉に初めて抱きしめられた時

この人嫌いだって思った・・・・・・・・・・、?

 

ねぇ、?

 

遠くなる背中に向かって名前を呼んだのは、

所謂「身体が勝手に」っていう、のだった。

話したいことがあったわけじゃない。

ただ、廉に抱きしめられたとき、

廉が寂しそうな顔したから、って、それだけ。

 

私には、大事にしたい人が居るし、

それは、廉じゃないし。

 

自分の心に言い聞かせるみたいに

廉の背中を見送る私の右足は、

何故か半歩前にあって

バッグの中で震える携帯電話に

気付かないフリをした。

今は、誰とも上手く話せないと思ったから。

 

部屋に入って、カーテンを閉めると

来客を知らせる玄関のチャイム。

 

「、あ‥‥」

 

玄関のドアの向こうに立っていたのは平野君で。

 

「さっき、携帯鳴らしたんだけど。」

 

「あ、ごめん・・・何だった?」

「わすれもの、」

「え?‥‥っ、」

 

腰にまわされた腕で

身体ごと持ち上げるように抱きしめられて。

 

「・・・・・大切にしたいって思ってる。

俺のこと、同じように大切に想ってくれるなら。」

 

それだけ言って、

離れて行く平野君の背中を

見送る足は、動けと願っても

呪文がかけられたように動かなくて。

 

馬鹿な自分が、一番嫌いだ。

どう考えても、これ以上の正解は、ない。

 

閉めたばかりのカーテンの隙間から覗く平野君の姿。

 

車に乗り込むまで、何一つ迷いなんて無い。

 

そんな平野君の隣に居ることが、きっと正しくて。

きっと、幸せ。

 

うろうろと行ったり来たり迷い続けてる私に

きっと、ずっと、気付いて、傷付いてたはず。

もしかしたら、バックミラーの中の私たちに

気付いて傷付けてしまったかもしれない。

 

このままじゃ、誰も幸せになれない。

 

平野君に「おやすみ」の返信をして

ベッドの上で瞼を閉じた時、

浮かび上がる寂しそうな顔に何度も寝返りを打った。

 

永瀬廉 ✕ 片想い ⑪

「よぉ、」

 

いつかのあの日と同じように

お風呂あがりですっぴんの私に

 

いつかのあの日と同じように

グレーのスウェット姿の廉が話しかけてきた。

 

 いつかのあの日と同じように

いつものコンビニの雑誌コーナーで。

 

あの事故から

何事も無かったように廉に会いに行くべきか

なかったことなんかにしないで廉と向き合うべきか

 

何が正しくて、何が間違いなのか考えた。

 

沢山、沢山考えた。

 

結局、答えなんて導き出せないまま、今日になった。

 

 

どこかで、ここで偶然を装って廉と会えたら、って思ってた自分。

 

 何も変わらない廉に「酔っていた」からとか

「無かったことにしたい」からとか

 いろんな憶測が飛び交っては、

結局、自分の中で消化不良。

 

「あ、うん。」

「こんばんは、やろ。」

「・・・こんばんは。」

 

私の背中を通り過ぎた廉は、

ビールを2、3本カゴに入れて、

今度は、私の居ない陳列棚の間を

通ってレジへ向かう。

 

 

今日は、誘ってくれないの?

 

いつもみたいに「飲もうや」って強引に腕を引いてくれたら

私は、仕方ないみたいな顔して付いていくから。

「友達」だって、思えるから。

 

そんな私の願いは、虚しく空振りして

廉はお会計を済ませると

「じゃー」とろくにこっちも見ないで

私に手を振って店を後にする。

 

 

自分でもこんなに素早く動けるんだってくらい

気持ちが身体を動かした

雑誌を棚に戻して、店を出て、廉のあとを追いかけて、

サンダルが片方脱げて、遠退く背中に

 

「廉っ、」

 

名前を呼んだら、廉が足を止めた。

 

ゆっくり振り返った廉が

私の足元を見て、呆れ顔。

 

「お前、何してんねんな、もー。」

 

シンデレラじゃあるまいし、と何の色気もない

サンダルの片方を廉が拾いに戻って来る。

 

「ほれ、」

 

廉に持っとけって言われて、

持たされたビールの入ったレジ袋。

 

廉が目の前でしゃがんで、

私の左足を自分の右腿に乗せる。

 

ぱたぱたと小石を払って、

素足にサンダルを履かせて。

 

おとぎ話みたいなシチュエーションで

王子様みたいな顔して、でも、廉は、私の友達。

 

「廉、合コン行くの?」

 

廉の茶色みがかった丸い後頭部に。

そんなことが聞きたいわけじゃなかった。

 

 

「は、何よ。急に。」

 

立ち上がった廉は、

自分の膝を軽く払いながら

目を合わせようとしない。

 

「西原くんが言ってた。廉も誘った、って。」

「まぁ、そろそろ?失恋も癒えた頃やしな。てか、なに?」

 

私の知ってる廉じゃないみたいだった。

「友達で、」そう言ったのは廉なのに。

どうして、そんな顔するの。

 

めんどくさそうにしないでよ。

 

 

「・・・・・廉、彼女欲しいの?」

こんなことが聞きたいんじゃない。

 

 

やっと目が合ったかと思えば

酷く冷めた目で

「お前に関係ないやろ、」って言われた。

 

頭を強く殴られたみたいな、そんな痛みが走った。

 

廉は、私のことが好きだったんじゃない。

きっと、彼女が欲しかったんだ。

 

そういう人だったんだ、そう思えば、

廉のことなんて嫌いになって

廉のことなんて忘れたくなって

 

最低、最低、最低

 

心の中で3回そう唱えたら、錯覚も幻覚も

少しは現実に近付くような気がした。

 

平野君のことだけ、考えられるようになる。

 

「‥‥‥」

「じゃ、行くわ。」

 

何も言えなかった。

 

コンビニから漏れる白い光に

ひとり取り残された私の気持ちなんて

もう、どうでもいいんだ。

 

 

私だって、廉のことなんて

もうどうでもいい。

 

 

 

 

その帰り道、平野君にメッセージを送った。

「今から会えますか?」って。

 

 

「‥‥‥‥‥、」

 

その1時間後、初めて平野君とキスをした。

私のマンション前に停められた平野君の車の中で。

ハザードランプの音とオレンジの点滅に

急かされるように平野君が前のめりになって。

 

「‥‥‥緊張してる?」

 

こういうの慣れてるんだろうなって

 

そういうことになる前の雰囲気の作り方とか

視線を合わせるタイミングとか

顔を傾ける角度とか、その合間で見せる笑顔とか

そういうの全部が何もかも台本みたいに自然で、

それなのにその1秒後のことは何も予測できなくて。

 

器用な彼に合わせるのに必死になって

息をするのも忘れそうになった。

 

廉の不器用なキスとは、全然違った。

 

唇が離れて、

触れての繰り返しのキスは

私の知らないキスだった。

 

私の気持ちを置いてけぼりになんかしないで

歩幅を合わせてくれるような

それでも、ちょっと背伸びした世界へ

連れて行ってくれるような

 

「・・・・・可愛い、」

 

廉は、そんなこと絶対言わない。

私の選択は、何も間違ってなかった。

 

廉のことなんて、もう知らない。

 

 

そう思うのに、会社の帰り

廉の住むマンションを見上げる癖は直らないし

 

廉が読んでる漫画の新刊が出てれば、

教えたくなるし

 

コンビニのくじで当たって貰った

全然知らないキャラクターのお皿は

廉の家にしれっと置いておこう、なんて考えた。

 

もう、どうでもいいのに。

全然出て行ってくれない、私の中から。

 

いつも突然で、

いつも強引で、

 

直ぐに可愛い女の子に言い寄られるところも

突然、強引に飲みに誘ってくるところも

人を馬鹿にしたみたいに笑って揶揄ってくるところも

 

平野君の好きなところを言うのと

同じくらい廉の嫌いなところを言うのはキリがない。

 

 

 

 

廉なんて、廉なんて。

 

 

今頃、合コンで

新しい女の子の連絡先を増やしてるだろうし。

 

私のことなんて、どうでもよくて

最初から、誰でも良かったんだよ。

 

平野君の彼女になった夜、

なかなか寝付けない私の脳内をリフレインするのは、

平野君とのキスじゃない少し苦いキスで。

 

そんな自分に自己嫌悪に陥った。

 

 

 

 平野君の彼女になって、

2日目のキスは、車を降りる直前。

 

昨日の、とは違う触れるだけの優しいキスだった。

初めてのキス、みたいなキスだった。

 

「・・・・・なに?物足りない?」

「ちっ、ちがう・・・けど。」

「もっと、凄いのが良かった?」

「えっ?」

「そういうのも出来るけど、俺。」

「いっ、今ので十分です。」

「なんか、今日疲れてるみたいだし遠慮してみた。」

「‥‥ごめん、」

「ううん、俺の彼女は体力勝負だから、覚悟しといて。笑」

「・・・・・」

「なーに考えてるの?、」

「なっ、そんなんじゃないっ、」

 

きっと、平野君は何かを悟ってた。

そんな顔してた。

 

自分でも、こんなの精神衛生上良くないって

分かってるのにどんどん、どんどん

漆黒の闇に支配される、この感じ。

 

 

 

 

 

「じゃあ、また明日ね。」

 

平野君の車が、遠くに消えて行くのを見送って

聞き覚えのあるサンダルが地べたを引きずるような足音。

 

「・・・・・よぉ、」

 「廉、」

 

「なん、デートの帰りか。」

 

遠くにみえる平野君の車のブレーキランプ。

右折する、それを廉の目が追う。

 

「うん、そっちは合コンの帰り?」

「おん、」

 

どうだったの?って聞きたかったけど

また「お前に関係ない」って言われたら

そう思うと、怖くなって、それ以上は聞けなかった。

 

「、紫耀と付き合うことにしたん?」

「・・・・・・・・・・・廉には関係ない。」

 

そっちが先に言ったんだよ。

仕返し、だからね?

 

 

 

なのに、なんで、そんな顔するの。

 

寂しそうにしないで。

悲しそうにしないで。

苦しそうにしないで。

 

私が、もっと辛くなる。

 

「そんなこと言わんといて。」

 

私は、なんで廉の腕の中に居るの?

 

髙橋海人 ✕ 生活 (仮)

 

出会った頃、こんなに大切に想うなんて

少しも思わなくて、いや、少しは思ってたかな

 

君は、知らないだろう

まだ、君に恋に落ちるまえの僕を。

 

僕は、知ってる。

まだ、僕を好きになるまえの君を。

 

だから、君は僕に敵わないよ。

 

僕が、君を見つけたあの日から、ずっとね。

 

君との生活(仮)を1日でも永遠に近付ける三箇条。

 

1) どんな彼女も愛せる俺で居ると誓う

2) どんな俺も愛してくれる彼女で居て欲しいと願う

3) どんなことがあってもふたりなら大丈夫と信じる

 

 

 

2人の間を吹き抜ける春の風は、今も優しくて、

君を見つめる僕の腕は、今も穏やかに君を包む。

 

人混みを避けるようなデートの終わり、

仕方なく手を離す大して需要のない辛さとか

 

お互いタイミングを合わせて背を向けて

それぞれの方向へ歩き出す寂しさとか

 

何度も振り返り、どちらともなく

また歩み寄るもどかしさとかやるせなさとか

 

いろんなこと引っ括めて

別々の部屋に帰るメリットなんて無かった。

 

 

 

俺の職業柄、頻繁にデートを重ねることは出来ない。

 

理解が良すぎるのも、

俺的には物足りなさを感じたりしていて。

 

楽屋で、ジンが恐らく噂の彼女との通話中

何度も困った顔をした原因が

「会いたいって泣くから」なんて

聞いた時、実は少しだけ羨ましいなんて思った。

 

きっと、ジンには、それだけの度量があって

だから、彼女もジンの胸の中に飛び込めるんだろう。

 

絶対に寂しいはずなのに

むしろ、そうであってほしいのに

不満のひとつも言わない彼女と

「離れたくない」のも、俺の方。

「寂しい」のも、俺の方。

「会いたくなる」のも、俺の方。

 

いつも、彼女の気持ちが声に乗っかることなんて

ゼロに等しいくらいなくて。

 

「私も、」って、それだけで。

 

「そんなの無いものねだりやん、

めちゃめちゃええ彼女やん。」って

廉に言われて、そりゃそうなんだけど、

って分かってるんだけど

 

本当は、世界中に、とは言えなくても

渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で

「この人が、俺の大好きな彼女です」って

両手広げて、大声で叫びたいくらいに愛してるのも

もしかしたら、「俺だけ」なのかもしれない。

 

俺の部屋の契約更新が迫りかけた頃、

彼女もそんなタイミングを迎えてると知って

それは、運命だと思った。

 

彼女の部屋で、

彼女の手作りのピーマンの肉詰めを食べたあと

ソファで他愛もない話をデザートに、

彼女が入れてくれた紅茶を飲む。

 

これが、「日常」になれば、俺の不安なんて

笑い話に出来るのかな。

 

彼女は、ソファの上で

隣に居るはずの俺、の居ない方に上半身を倒して

クッションを抱えている。

 

俺の肩が、寂しいって言ってる。

こっちおいでよ、って言ってる。

だけど、彼女には、聞こえない。

 

彼女のスマホを盗み見すれば

1LDKの間取りが、さっきから形を変えて

次から次へと。

 

「良いとこ、ありそ?」

「んー・・・、そうだね。」

 

彼女と俺の間に、隙間を生むことなく

ぴたりと距離を詰める。

 

隣から人差し指を伸ばし

2LDK」のチェックボックスをタップする。

 

「えー、そんな広いお家じゃなくていいよー。」

「え、だって、俺、結構、物多いし。」

「‥‥‥え?」彼女が笑って誤魔化す。

「‥‥‥え?」俺がとぼけたフリして真似して聞き返す。

 

 

「ねぇ、一緒に暮らさない?」

 

男には、ここぞって時に

決めなきゃいけない瞬間があるって

紫耀から教わった。

 

女の子に言わせちゃいけない言葉があるって

紫耀が言ってた。

 

これは、俺の言わば、

プロポーズみたいなもんだった。

 

 

ドラマの撮影が立て込んで、 

忙しくしていた俺を気遣って

彼女がひとりでまわってくれた内見。

 

撮影の合間に、俺の携帯電話に届いた1枚の写真。

バルコニーから見える大きな川と桜並木。

 

その景色に

都会の生活に息苦しくなったとしても

ここで、彼女と未来を語れたなら、

そんな理想を直ぐに抱いた。

 

 

色違いのキーケース。

2セットずつ揃えた食器たち。

季節の花が彩るテーブル。

お揃いのパジャマ。

彼女に頼まれて俺が悪戦苦闘して組み立てたラック。

彼女がお気に入りのケーキ屋さんも

俺が好きなパン屋さんも徒歩圏内に見つけたし。

 

ふたりの生活(仮)は、

ふたりの色で染まって行って

部屋中に、幸せが溢れた。

 

一緒に暮らし始めて、この春で1年が経つ。

 

朝、目が覚めて一番に映る世界も

夜、眠るときに隣に感じる温もりも

愛しさで構築されていく全てに、君が必要で。

 

アラームだけでは、

起きられない俺を揺さぶる困った顔も

 

俺の嫌いな野菜を並べて、

好き嫌いしないのって頬を膨らます顔も

 

行ってらっしゃいって、

キスをせがむ俺に照れたように目を閉じる顔も

 

おかえりなさいって、

あどけなさを残したすっぴんで駆け寄る顔も

 

俺の「好き」を彼女が独占して、塗り替えて行く毎日。

 

「明日さぁ、どうしよっか?」

 

俺の帰宅を待って、少し遅めの夕食。

4月2日に聞かれる、明日の予定。

 誕生日にオフが貰えるなんて思ってなくて

目を輝かせて、この日を待ち侘びた。

 

「んー、俺は、一緒に居れたらなんでもいいけど。

折角、免許も取ったし、どっか出かけるのもアリだよね。」

「そうだね、今夜は映画でも観る?」

「あ、前言ってたじゃん。あれ、観よう?」

南瓜とマヨネーズ?」

「うん、それっ」

 

俺の「好き」を彼女と共有して、

彼女の「好き」を俺と共有して、

それが、ふたりの「好き」になっていく。

 

オレンジの間接照明だけで

部屋をじんわり照らして

自分たちじゃない恋人たちに感情を移して

 

ふと、隣に視線をやれば、泣きそうになってたり

微笑ましく笑ってたり、

ころころ感情を揺さぶられる横顔が可愛い。 

 

エンドロールが流れる数分前に

「俺は、ここに居るよ」みたいなキスをしながら

手を繋ぐのも、なんか好き。

 

23:59に言われる「大好きだよ」も

24:00、日付が変わった瞬間に言われる「おめでとう」も

24:12から始まるいつもより、ちょっと甘い夜も

 

ベタかもしれないけど、

この幸せがあれば、この世界で生きてくには

十分すぎる理由だよなって思った。

 

白いシーツから覗く、白い肌が好き。

少し触れただけで、赤く染まる頬が好き。

ふんわりサボンの香りがする、長く揺れる髪が好き。

 

「・・・・・あれ?」

 

目が覚めて、触れたいと思った彼女がそこに居ない。

 

昨晩、脱ぎ捨てたTシャツを着て、ベッドを降りる。

 

「あ、カイ、おはよ。ごめん、さっき電話があって

今日、体調崩しちゃった人の代わりに出勤になっちゃったの。」

 

バタバタと目の前を往復する彼女を引き止める時間もなく

彼女は「なるべく早く帰るようにするから、良い子で待っててね。」

って玄関まで見送りに行った俺の頭を撫でる。

 

神様の悪戯に絶望するように、抜け殻になった俺が

リビングに戻れば、俺のお気に入りのパン屋さんのバタートースト。

 

突然の出勤依頼で時間の余裕なんて無かったはずなのに

オムレツに書かれたケチャップのハートマーク。

 

「あー、早く帰って来てぇ・・・。」

 

届くはずの無い祈りにも似た呟きは

お気に入りのバルコニーから吹き抜け

その先に広がる桜並木に携帯電話を向けた。

 

ドラマの撮影で、連日不規則な生活が続いて

彼女とすれ違うだけの生活が続いても

彼女だから、俺のそばに居てくれた。

 

文句の一つや二つぶつけられたって

ごめんね?って抱きしめるくらいの覚悟は、あったのに

文句の一つも言わずに、「今から帰るよ」のメッセージに

10分以内に「お疲れ様」と返信をくれる。

 

「先に寝てていいからね」という俺が

夜遅く帰って来ても、俺に「おやすみ」というまで

ベッドに入らない彼女がソファの上で

首をこてんと傾けながら睡魔と戦う背中も

 

彼女の出社時間よりも早く家を出て行く俺に

「おはよう」が言えるように、寝る前にベッドの中で

俺のスケジュールに合わせて、アラームをセットし直す横顔も

 

そんな健気な姿が愛おしくて

でも、どこか俺が罪悪感を覚えることもあって

「俺のせいで、」って、苦しくなることもあった。

 

それでも、ウッドチェストのうえに並ぶ

自撮りのツーショットが入ったフォトフレームが

様々な背景で増えて行くのは

俺が、彼女じゃなきゃ駄目だという想いが強いからだ。

 

 

テーブルの上に置きっぱなしの女性ファッション誌。

 

ソファに座って、パラパラと片手間にページを捲りながら

もうそろそろ帰って来る頃かな?って壁時計を見上げる。

 

空腹は、とっくにピークを通り越して

時刻は、21時を知らせようとしている。

 

何度も携帯電話を手に取るけど

俺から連絡をしなかったのは、

ただの意地でしかなかった。

 

うとうと、夢の世界へ引き込まれそうになって

玄関での物音に姿勢を正す。

 

 

「カイ、ごめん、遅くなって。」

 

彼女に何事も無かったように

笑いかけるような大人の余裕なんて俺には無くて

こんな自分は、好きじゃない。

 

そんな俺の表情の些細な変化に気付いてくれる彼女に甘えて

いつも先に折れてくれる彼女のせいで、

俺は、いつまで経っても大人になれなかった。

 

「ねぇ、なんかお酒臭い‥‥煙草の匂いも凄いんだけど。」

 

彼女には、似合わない煙たい鼻を突くようなソレ。

 

「あ、上司に一杯だけ付き合えって言われて‥‥

ごめんね、連絡も出来なくて。」

 

「‥‥…………毎晩、こんなことしてるの?」

「え?」

 

ジャケットをハンガーにかけながら

そんなことないよ、って笑う彼女に疚しさなんて無いのに

 

信じてあげたいのに

 

「どうかな、俺、居ないから分かんないもんね?」って

 

どうして、俺は、こうなんだろ。

 

「‥‥カイ?」

 

何度も心の中の俺が「やめとけ」って叫んだのに

「一緒に住むんじゃなかった、」って

なんで、留まれなかったんだろう。

 

そんなこと、1ミリだって思ったことないのに。

 

バルコニーに逃げる俺は、22歳になっても何も変わらない。

 

彼女を重ための愛情で困らせるだけの恋人だ。

 

はぁー、今日の桜は、ライトアップとは言えなくても

街灯に照らされて、綺麗なのになー。

 

目の前に広がる、この景色は

いつだって、彼女と共有するって決めて

今朝、撮った写真もフォルダにおさめた。

 

メンバーが面白がって撮り始めた俺の寝顔を

彼女だけが、ただただ可愛いと専用フォルダにおさめるように

俺の携帯電話も、彼女との生活(仮)でいっぱいだ。

 

「‥‥‥カイ?風邪ひいちゃうよ?」

 

Tシャツ1枚で出てきた事を後悔していたけど

素直に部屋には戻れないなぁ、って思ってた頃。

 

彼女が、少し前に

カイに絶対似合うって買って来てくれた

カーディガンを肩にかけてくれた。

 

「‥‥‥カイ、ごめんね?」

「‥‥‥‥‥‥悪いのは、俺だよ。」

 

ちっとも大人になれない俺。

こんなんだから、いつまで経っても

メンバーに子供扱いされちゃうんだ。

 

「でも、ちょっと嬉しかった。」

「へ?」

「カイのヤキモチ、私、好きなんだ。」

「・・・」

「愛されてる、って感じがするから。」

「、俺だって、愛されたいよ。」

「え?私、すっごい嫉妬深いよ?」

「え?どこが?」

「未だに・・・、姉ちゃんの恋人みれてないもん。」

 

そう言って、顔を隠すように俯く彼女の顔を

さらに顔を潜らせて、覗き込む。

 

あ、今、また「好き」が積もった。

 

コーラルオレンジの唇が薄く結ぶ、その顔。

 

「だって」「でも」「なんで」って

俺を責めることも出来たのに

そんなこと言わない、初めて見るこんな顔。

 

不謹慎に募る「愛おしさ」

 

付き合ってから

ううん、出逢ってから

初めての喧嘩?の最中なのに。

 

「やだ、こんなこと言いたくなかったのに。」

「え、言ってよ。俺だって、愛されたい。」

「愛してるよ?なんなら、私、カイの共演してる女の子

みんなにちゃん付けしたりするの、もれなく嫉妬してるから。」

「え、なにそれ初耳なんだけど。」

「・・・・・、」

「ねぇ、ちょっと顔見せて。」

「やだ、」

「ねぇ、」

 

俺の居ない方へ顔を背ける彼女の両頬を強引に

両手で挟んで、丸く柔らかな感触を確かめる。

 

「ねぇ、俺のこと、好き?」

「うん、」

「うん、じゃなくてさ。」

「好き、カイが思ってるより、ずっと好き。」

 

いつも俺からするキス。

一度も拒まれたことは無いけど、

ただ黙って目を閉じるだけの彼女の気持ちは、

読み取れなかった。

 

だから、彼女がほんの少し背伸びして

初めて顔を近付けた時、

目を閉じるのがもったいなくて、

ピンクのアイシャドウがキラッと光るのが可愛くて、

離れようとする彼女の後頭部に手をまわした。

 

 

「ねぇ、私、内見でね、ここで、この景色見たときね

おばあちゃんになっても、ここに居たいと思ったの。

私は、一緒に住もうって言ってくれたの、

嬉しかったし、後悔したことなんて1秒もないし」

「うん、」

「カイが後悔しても、やっぱり一緒に住むのやめよって言っても、

やだ、って我儘言っちゃうと思うし、

カイの好きな大人なお姉さんになれないかも、」

「………………やば、めっちゃ嬉しくて泣きそう、」

「てか、カイ泣いてるしっ、かわいー、」

「え、そっちも泣いてるじゃん、ガキ扱いすんな」

 

いい大人が、別れ話でもないのに、

夜の月明かりだけが照らすバルコニーで

めそめそとお互いを笑いながら、泣いて

ほんと、おかしなカップルの日常を切り取った

映画のワンシーンみたいな背中してるんじゃないかな。

 

俺は、ここで君と未来を語れたらって思ってた。

だけど、全然そんな綺麗なものでは、ないかもしれないけど、

今ここに君との生活(仮)がある。

それだけでこんなに幸せ。

 

いつか俺達の生活から(仮)が外れた時、

俺は、今より少しは大人の男になっていて

彼女は、今にも増して綺麗で可愛くなっちゃってる。

あわよくば、お仕事も順調だといいし、

パパになっていてもいい。

そんなに遠くない未来だといいな。

 

心から愛してるよ、

 

永瀬廉 ✕ 片想い ⑩

 

 

平野君と居ると、楽しい。

 

平野君の前で、「女の子」で

居ようとする自分も嫌いじゃない。

 

待ち合わせ場所は、

平野君の都合で待つようなことがあっても

退屈しないところを選んでくれるところとか

 

平野君の車の助手席に乗り込む時は、

必ず降りてきてドアを開けてくれるところとか

 

何食べたい?って聞いてくれるところとか

 結局、優柔不断の私が答えを出せなくても

2つ3つ私の好きそうなお店が出て来るとことか

 

ブレーキを強く踏んだ時に

咄嗟に助手席に座る私の前に手が回るところとか

 大丈夫?って顔を覗き込むところとか

 

お店には、先に通してくれる

レディーファースト主義なところとか

 

言い出したらキリが無い。

 

平野君の隣に居たら、

幸せになれるんだろうなって

そう思う瞬間が沢山ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

廉とは、大違い。

いつも私の気持ちなんてお構いなしの、廉とは。

 

 

あの夜の出来事は、全部忘れる。

ていうか、忘れたい。

というより、忘れるべきなんだと思う。

 

あれは、ただの事故。

、だよね?

 

 

一瞬、何が起こったのか分からなくなった。

 

静かに流れる時間の中で、

廉の顔がスローモーションで

それでもストロボのように眩しい光を纏って

近付いてきて、呼吸がひとつになった。

 

私の身体は催眠術でも

かけられたみたいに

動けなくなって

 

視界は、真っ暗に覆われて

「触れてる」って気が付いた。

 

パチンと催眠術がとけた瞬間みたいに

私は、後ろに身体を倒して、廉から離れた。

 

心音が私の胸を突き破って

廉に聞こえてしまいそう。

 

それでも、廉の顔は、綺麗なまま。

なんでもなかった顔して。

 

 

「送ってやれんから、はよ帰れ」って

くるん、と揺れる前髪の隙間から

今にも閉じてしまいそうに

眠そうに細めた目で

背中を押されて、部屋を追い出された。

 

振り返った時には、冷たいドアが

私に迫って来て、鍵をかける音がした。

 

この隔たりの向こう側、

きっと廉がそこに居る気がして

右手をそっとドアに当てた。

 

廉、私達は「友達」だよね?

 

 

 

 

「、ねぇ?聞いてる?」

 

デートの帰り、

平野君が家まで送ってくれたついでに

私の部屋でお茶をする、が

いつものパターンになりつつあった。

 

リビングのソファから話し掛けていたらしい

平野君が「おい、上の空かよ〜」なんて笑ってくれる。

 

ごめん、ごめんって、私も笑って返せる。

 

忘れよ、きっと、廉も覚えてない。

私達、「友達」だもんね?

 

「昨日さ、廉、大丈夫だったの?」

 

平野君のと、私のグラスをそれぞれの前に置いて

私も平野君の斜め右に座る。

 

「え、」

「廉。送ってったんでしょ?」

「ああ、うん・・・だい、じょーぶ。」

「、なんかあった?」

「え?無いよ?」

「ふーん・・・。」

「なに?」

「ううん、なんも。」

 

平野君がグラスの中の一番高いところにある

氷を人差し指で撫でる。

 

からん、と落ちた氷から目線をあげた先で

平野君が首を傾ける。

 

言葉を選んでいるのか、探しているのか

何かを飲み込む度に、喉仏が大きく動く。

 

「今日、廉・・・大丈夫だった?」

「なにが?」

「‥‥二日酔い、とか?」

「うん、普通に仕事してたけど。」

「なにか話した?」

「、なにを?」

「‥‥ううん、やっぱりいい、」

 

お互いに何かを探りあって、

確信的な何かから避ける。

 

遠回しに何かを言いたげな平野君が

ラグに乗せた右の掌に重心を乗せて、

私との間の何十センチかの距離を詰めて座り直す。

 

「寂しかったなぁ、なんか。」

「え?」

 

その距離が、

肩がぶつかるくらいまで縮まる。

物理的に。

 

「……行ってほしくなかったなぁ、って。」

 

三角座りをした私の膝に置いた左手薬指が

同じように隣で三角座りをした平野君の右手薬指に捕まる。

 

「‥‥‥ひ、らのくん?」

 

廉が「触れた」時と全然違う鼓動の波。

同じように高まっているのに

それは、何処か穏やかで優しいもの。

 

「れん。」

 

平野君の声で聞くその名前のせいで

また鼓動が早まる。

 

とくとくとく、乱れるリズムも気持ちも。

 

「…………」

「いつから、そう呼ぶようになったんだっけ?」

 

平野君にそう言われて、

今度は私のグラスの中の氷が

からん、と音を立てる。

 

「、なんでそんなこと聞くの?」

「‥‥‥なんでだと思う?」

「………………」

 

平野君の右手の小指と私の左手の小指、

から私の指と指の間に平野君の指が割り込んできて

平野君の右手と私の左手になる。

 

 

平野君の掌の温度に包まれる。

 

 

 

「好きだからだよ。」

 

 

 

望んでたはずの展開。

 

こうなりたかったはずなのに。

 

「俺、短気だからさ。

返事は気長に待てないタイプなの。

それだけ、言っとくね。」

 

平野君の背中を見送ることも出来なかった。

 

こうなりたかったはずなのに。

 

ねぇ、廉

私達は「友達」だよね?

 

 

 

 

永瀬廉 ✕ 片想い ⑨

 


風呂上がりで、

濡れたままの髪にタオルを被せて、

テーブルの上の煙草の箱に手を伸ばせば、

くしゃりと形を変えて潰れた。

 

頭ん中では、最後の一本がある前提だったのに

予想を裏切られて溜まるストレス。

 

全部全部、空箱と一緒に

ゴミ箱に捨ててしまいたくなる。

 

 

 

 

 

いちいち鳴らさんでええって言ってんのに

親しき仲にも礼儀ありだから、って

必ず鳴らされるチャイム。

 

「親しき仲」ねぇ、と

顔が綻ぶくらいの未練は、

俺にもまだあるんやな。

 

「開いてんでー、」

 

玄関の前まで行って、そう言えば

「おつかれー」って小さな肩を撫でるように下げて

疲れた様子の彼女が顔を出す。

 

 

出逢った頃、半ば強引に部屋に誘った時は、

警戒心丸出しの距離感を保って

上半身裸の俺に恥ずかしがってた彼女も

いちいち顔を赤らめる処女みたいな

リアクションはせんくなった。

 

 

 

「ビール?」

「んー、」

 

椅子に鞄を置いたが早いか

人ん家のソファに倒れ込む彼女に

「ほれ、」と缶ビールを渡す。

 

 

「明日行く?」

「ん、ああ、西原主催の?」

「んー」

「ジンは行けんて言うとったけど、」

「廉は?」

「俺らは、西原に遅れてもえーから来い言われてんのよ」

「ふーん」

「お前は?」

「んー、多分行く」

 

俺等が出逢った合コンメンバー数人で

たまに開かれる飲み会。

 

予定が合えば行く程度、の軽いやつ。

 

彼女曰く、俺の左隣をキープし続けた

川嶋さんは、別の合コンで彼氏が出来たらしく

あれから姿は見てない。

 

まぁ、どうでもいいけど、

幸せそうなら何よりやわ。

 

 

 

缶ビールを伝う水滴を親指で掬いながら

彼女に視線を移す。

 

初めて会った時も確か

こんな感じやったよな、俺ら。

 

テーブル挟んだ向こうで。

 

同じような角度から

同じような仕草で

同じように酒を飲む彼女。

 

あの頃と違うのは、俺の方。

 

「好き」だという感情が

1個そこに乗っかるだけで

こいつ、こんな色っぽかったっけ?なんて

なにもかもが俺を挑発してるようにみえた。

 

 

実を結ばない恋に

いつまでも執着していられるほど

暇でもないし、女に不自由してるわけでもないのに。

 

 

 

まぁ、もう半分以上諦めモード。

 

「友達」「友達」「友達」

呪文のように唱えてきたせいか、

もうそんなこといちいち言い聞かせる必要は無くなった。

 

まぁ、「友達」やし。

 

  

互いに躊躇なく「呼び捨て」で呼び合う名前。

お互いコンビニでマストで買うおつまみ。 

俺が吸う煙草の銘柄。

彼女が好きなアイスの種類。

 俺がハマってる配信アニメ。

 彼女がハマってる「エモい」とやらのバンド。

 

 ふたりの間で

日々更新され続けるプロフィール。

 

彼女が仕事帰りに俺の部屋が明るければ

俺の部屋でビールを飲んだりもするようになり。

 

コンビニの帰りに

俺の部屋をいちいち見上げる習慣が

癖づいてしまった、と笑って言えるまでに

彼女は変わった。

 

多分、俺が変わったから。

 

気持ちがゼロになったかと言えば

勿論、消化不良ではあるけど

彼女の恋がうまく行けばいい、と

背中を押すまでは行かなくても

見守る位はできるようになった。

 

あれから紫耀とそこそこにデートを重ねる彼女の

惚気に近いようなお悩み相談まで

とりあえず相槌を打てる。

 

 

でも、

 

たまに押し寄せる感情の波に

俺は、未だに飲み込まれる日もある。

 

 

 

 

 

 

 

今日みたいに。

 

隣に座る海人にわざとらしく

「廉さん、どうぞどうぞ」って

上手いことのせられて次々に乾いた喉に

流し込まれるアルコール。

 

相変わらず視線の交わることのない

テーブル挟んだ向こう側の彼女に

軽く腹を立てながらジョッキを持ち上げた。

 

 

別に強いわけでもないけど

いつもより酔いが回るのが早いと

割と序盤で自覚があったのにも関わらず

空いたグラスは、直ぐに回収されて

再び白い泡がジョッキのギリギリを攻めて

俺の手元に置かれる。

 

 

 

 

 

 

座敷の上のテーブルに

手を置いて立ち上がる。 

 

「・・・・・れん?」

「、トイレ」

「行ける?大丈夫?酔った?」

「だいじょーぶよ、酔うてへんわ。」

 

少し不安定な足元を心配する

海人を軽くあしらって

座敷の隅で自分のサンダルを履いた。

 

 

久しぶりに紫耀をみる彼女をみた俺が

自然と背負わされる敗北感。

 

「はぁ、」

 

自分でもどう処理するのが

正解なのか分からなくて、

ふらつく足元のせいにして

個室前の小さな段差に腰をおろす。

 

「……廉?」

 

どんなに自分を見失いそうでも

「好きな子」の声は、すぐに認識される。

 

きっと、人混みの中で

彼女が小さく俺の名前を呼んでも、

彼女の声だけが俺の耳に届くシステムみたいなもんが

俺の身体の愛の深いところで組み込まれてる

、よーな気がした。

 

俺の隣に腰かけて、

長い髪を垂らし、俺の顔を覗き込む。

 

「大丈夫?、」

 

彼女の右手が俺の背中を優しく2往復擦る。

 

 

「えーから。大丈夫やから。

お前は、紫耀んとこでも行っとけ。」

 

左手でシッシッと払いながら

みっともなくて顔は上げれん。

 

行くな、って顔しとるから。

 

「…………ほっとけないじゃん。」

 

きっと、彼女の身体の愛の深いところで

俺の心の声がちゃんと届くシステムなんかもしれん。

 

そんな都合のいい解釈が

あまりに馬鹿馬鹿しくて、惨めで笑えた。

 

「・・・・・あーあかん・・・俺、帰る。」

「え、ちょっ・・・・・」

 

俺の背中を不規則なリズムで

擦り続ける彼女の右手を

振り払うようにして立ち上がった。

 

 

 

かろうじてジーンズのポケットに入れたままの携帯電話。

財布は、置いてきた。けど、もうあの個室に顔を出す余裕ない。

 

 

 

彼女の視線の先に映る紫耀が

嫉妬の対象、だったのは

もう「過去」のこと、なはずなのに。

 

 

紫耀の前では、ピーチウーロンを頼む彼女が

俺の前では、ビールを飲む。

 

何故か、そんなしょうもないことに

俺は、充分な価値を見いだしていて。

 

急に燻り出す彼女への気持ち。

 

「廉っ、」

 

財布を置いてきた俺が徒歩で帰路に着こうと

店を後にして、最初の赤信号。

 

その声に振り返れば、息を切らした彼女。

 

「・・・・・なにしてん、」

「廉こそ・・・・・っ、財布も置いてどうするつもりだったの‥っ」

 

なかなか呼吸の整わない彼女は、

自分のバッグと俺の財布を持って

身体を前に折りたたむようにして屈む。

 

俺は、それを上から見下ろす。

 

「・・・本当に帰るの?」

「おん、」

「なんで、なんかあった?」

 

お前よ。

 

原因は、お前よ。

 

「なんも、明日早いし、」

「そっか、ならいいんだけど。あ、青になったよ。」

 

赤から青に変わる信号を教える彼女が

横断歩道の方へ歩き出す。

 

「は、お前も帰るん?」

「うん。」

「うん、て。皆に言ってきたん?」

「うん、平野君に。廉が潰れたっぽいからって。」

「潰れてへんわ。笑 ダサいことせんといて。てか、えーの?」

「何が?」

「知らんよ?紫耀に愛想付かされても。」

「・・・・・大丈夫。」

 

私達は、そんなことでは終わりませんとでも

言いたげな彼女だと受け取って、「あ、そ」と歩き出す。

 

 

 

「廉、真っ直ぐ歩けてないよ。」

「平気やって。」

 

いいって言ったのに、

部屋まで届けないとその辺で寝ちゃいそうだからって

その優しさが、今の俺には「余計なお世話」でしかない。

 

玄関に座り込む俺に「水持ってくるね」って

慣れたように、部屋の電気をつける音がする。

 

そこに喜びとか感じる程の余裕が無くて

鉛のように重たい脚と

焦点の合わない視界。

 

彼女の足音が近付いてきて

腕の中に顔を埋めるように伏せた。

 

「廉・・・大丈夫?水、飲める?」

 

俺の顔の真横まで無防備に顔を近付ける彼女。

 

耳元で「れん…?寝ないで、」って声がする。

 

 

三角座りする俺が埋めた顔を

彼女の方に向ければ、

 

 

ほらな、お前が悪いんやで。

 

俺が少し首を伸ばして触れた彼女の唇。

 

お酒のせいにして、全部忘れろ。

 

俺は、この感触、絶対忘れんけど。

 

 

永瀬廉 ✕ 片想い ⑧

 

 

あれから、何十回に一回くらいの割合で

コンビニで会うこともあったけど

「友達」の境界線は壊すことは愚か

越えようとも思わなかった。

 

友達、やから

そう、言い聞かせて。

 

 

「お、」

 

俺がレジを済ませて店を出ようと

身体を出入口に向けた時

 

もう22時を過ぎているというのに

スーツ姿の彼女が入れ違うようにして入ってきた。

 

 

「あ、」

 

そんな彼女も俺の顔を見て

小さく口が開いた。

 

この偶然に笑うでも喜ぶでもない彼女だけど

前のような怪訝そうな顔をすることが無くなっていた。

 

なにか曇りがかったフィルターがとれたようで

それが彼女が引いて俺が色濃くなぞった

「友達」という境界線のおかげだと

分かっているから言葉なんて容易くて脆いくせに

無碍には出来ない。

 

 

 

 

 

 

「なん、今帰り?遅ない?」

「んー・・・会社の飲み会に付き合わされて。」

 

いつになく疲れている様子の彼女に

買ったばかりの袋の中からビールを1本手渡す。

 

「え、いーよ。自分で買うし。」

「えーから。」

 

軽く店員にアピールして

半ば強引にビールを

彼女のバッグにしまう。

 

「………ありがと。」

「ん、じゃ。」

 

潔く、さりげなく、

そんなテーマを密かに胸に掲げながら

俺は、まだ買い物をしていくという彼女を置いて店を出た。

 

 

 

部屋に帰って、

ソファの上で胡坐をかいて

買って来た缶ビールとミックスナッツをテーブルに並べる。

 

やりかけのゲームのコントローラーを手に取って

考えるのは、「友達」のことなんかではなくて

テレビ画面に映るバーチャルの世界。

 

 

と思ったのに、すぐに至福の時間を

遮るように鳴り出す携帯電話。

 

「だぁー・・・ええとこやのに、」

 

こんな時間にかけてくるのは、海人とか

思い当たる節は、そんなとこで。

 

ソファの上から軽く身を乗り出して

ローテーブルの上の携帯電話を覗く。

 

 

「………、」

 

そこに表示される先程別れたばかりの彼女の名前に

コントローラーを手放し、携帯電話を手に取る。

 

「、どした?」

「廉、…………しよ……か、も」

 

電話の向こう側の彼女は

まだ外に居るらしくて

騒音に所々かき消されて

はっきり聞き取れない。

 

とりあえず、

テレビにリモコンを向けて

バーチャルの世界を閉じる。

 

「ん、ごめん、なんて?」

「………つけられてるかも、」

「は?今、どこよ。」

「コンビニ出て、信号渡って、」

「行くわ、待っとけ」

「や、いいから。このまま電話繋いでてもらってもいい?」

「アホ、んなもん、家バレてまうやろ。そのまま、家来い。」

 

鍵と携帯持って、

急いで部屋を出る。

 

下に降りると、マンションのエントランスに

小走りで入って来る彼女と目が合って

何故かここまで来といて

遠慮がちに目を伏せる彼女に

俺から近寄る。

 

「大丈夫?、」

「うん、ごめん、変な電話して」

「や、全然えーねんけど、無事で良かったわ、」

 

足元に視線を落としたままの彼女の

頭のてっぺんに俺も視線を落とす。

 

「勘違いかもだけど、なんか怖くて」

「や、なんかあってからじゃ遅いし。」

 

ただ家が近かったから、

きっとそんなとこなんだろうけど

俺に助けを求めたこと

少しだけ自惚れたかった。

 

なのに、

 

「うん、ありがと、

多分もう大丈夫。じゃ、行くね。」

 

何を根拠に大丈夫と言ったのか

恐らく、ここにきて

また彼女お得意のいらん遠慮をみせて。

 

でも、少し呼吸の乱れた彼女を

このまま家に帰せるわけなんてなく

 

ここを去ろうと身体を反転させ

俺に背を向ける彼女の腕を取る。

 

「お前、アホなん?」

「、えっ?」

 

俺には、警戒心を蜘蛛の糸のように

張り巡らせておきながら

得体の知れない物体には

その身体を投げ出すつもりなんだろうか

 

 

 

 

「どーぞ、」

「あ、お邪魔します………」

 

もう何度目にもなる俺の部屋に

彼女は、まだ躊躇いと緊張を持ち込んで。

 

大丈夫よ、俺ら、「友達」なんやから。

 

彼女にそんな空気を醸し出しながら

自分にも、何度もそう言い聞かす。

 

クローゼットの奥の方に二度と見まいと

隠すように仕舞い込んだスウェットを

引っ張り出して、彼女に向かって投げる。

 

「わっ………あ、あの、私」

「言っとくけど、今日は、帰せんよ?」

 

変な意味とかじゃなく、

 

 

「で、でも、」

「えーから、はよ風呂行って来い。」

「……………」

「あ、もしかして一人で入れんタイプ?

一緒に入ったろか?」

 

今のこの関係性で

冗談とマジは紙一重

 

これをどんな角度で受け取るかどうかで

俺自身、彼女を試していたのかもしれない。

 

彼女は少し目を見開いて

チークとは違う色で頬を赤くして

バスルームに逃げ込んだ。

 

大丈夫、

だって、友達やから。

 

危険から守る為に連れて帰ってきたのに

俺が手出してたら意味分からんやろ。

 

だから、大丈夫よ。

 

「バカじゃないの、」

そう言って、笑わんと。

 

 

既に懐かしさすら感じる

ぶかぶかのスウェット姿に

初めて見る濡れた髪、

化粧のとれたほんのり赤くなった真白な肌、

恥ずかしそうにさっきから交わることの無い瞳。

 

可愛いものは、可愛いと言う主義やけど

僅かに弱々しく放たられる警戒心に

それを口に出すのは、やめた。

 

「俺も風呂行ってくるから、」って

ドライヤーを渡す。

 

「ん、ありがと。」

 

すれ違う時に、彼女の髪から

当たり前だけど

俺のシャンプーの香りがして

微かに揺らぐ気持ちを

いつもより熱めのシャワーで洗い流した。

 

お風呂から戻ると、

ソファの下で

電源の落とされたテレビを

ずーっと見てたらしい彼女の背中。

 

「あ、ごめん。

テレビつけてよかったのに。」

 

そう言って、彼女の背中から

手を伸ばしリモコンを取る。

 

ビクッと彼女の肩が小さく跳ねた。

 

「なんも、せーへんわ。笑」

「………、」

 

許されるなら

今すぐにでも抱きしめたい

その背中に投げた言葉に嘘はなかったけど

 

あれから、紫耀とどうなって

これから、紫耀とどうするつもりなのか

どうでもいいかと言ったら嘘になる。

 

それでも、まだ肩に力の入ったまんまの彼女の頬に

冷蔵庫で冷やしておいたビールを

ぴたっと当てる。

 

「つっ………めた。」

「なーに、緊張してんすか?友達やで?俺ら」

 

彼女の前のテーブルに彼女の分のビールを置いて

俺もソファに大きく股を開いて腰かけて

風呂上がりの一杯に身体を労わる。

 

 

テレビの中で最近よく見かける

俺的にあんまりおもんないお笑い芸人が

大滑りをかましてくれたおかげで

俺がこくこく喉を鳴らす音まで

聞こえてんちゃうか、みたいな沈黙。

 

 

 

「あ、俺ソファーで寝るし、

ベッド使ってえーよ。」

 

そう言って、寝室に向かって

顎を突き出すような仕草をみせる。

 

「えっ、いー!いー!私、ソファで十分だし。」

「いや、これから先輩とオンラインするから

こっちで寝てくれた方が助かんのよ。」

「………いーの?」

「えーって、言うてるやん。じゃ、おやすみ。」

 

彼女は「おやすみなさい」と深々とお辞儀をして

寝室に消えて行った。

 

それを確認して、オンラインの予定なんて無い

ゲームをローテーブルの隅に寄せる。

 

ソファの背もたれに深い溜息と共に倒れる。

 

どーせ、俺のもんにならへんのなら

二度と連絡せんとこ、とか

 

でも、どっかにワンチャンあるんなら

友達なんて薄っぺらい一枚を保てるまで

俺の理性でなんとかなるギリギリまで頑張ろかな、とか

 

俺の意志は、一秒ごとにぐらぐら揺れた。

 

「・・・・・ゲーム終わった?」

 

振り返ると、寝に行ったはずの彼女。

 

「寝れんかった?」

「ううん…そうじゃないけど、私やっぱりこっちで寝る。」

「だーから、こんなとこで寝せれんて。風邪ひいたら俺責任とれんし。」

「‥‥私だって、また廉が熱出したりしたら。」

 

 

ひとりで寝るには、

そこそこに広く感じていたダブルベッド。

 

壁際に彼女を送り込んで、

俺も寝返り打ったら落ちるわというところで仰向けになる。

 

チラッと彼女を見れば、こちらに小さな背を向けて。

俺もそれに合わせて、彼女に背を向ける。

 

20代そこそこの男女がひとつのベッドの上で

指一本触れない朝が訪れるなんて有り得ないと思った。

 

 

 

 

「もう行くん?」

「うん、一回帰って着替えたりしたいし。」

「そこまで送るわ。」

「いーよ。」

「じゃ、玄関まで。」

 

こんな朝、俺たちが恋人なら

きっと、俺は玄関でヒールを履いても

俺の首元くらいにある彼女の唇にキスを落としただろう。

 

「お世話になりました。」

「お世話しました、って嘘よ(笑)、気を付けて帰りよ。

こうみえて、あなた女の子なんやから。」

「、こうみえてって何。」

 

それよ、それそれ。

そうやって、俺を睨みつけて。

その数秒後に笑って見せて。

 

だって、俺たち、友達なんやから。

 

どうみたって、女としか見てへん

彼女の背中を見送る朝。

 

彼女の長い髪が風になびく度に俺が感じた

優越感が違和感とか焦燥感になって

紫耀に届けば、それはそれで、と思って

俺はベッドに戻った。